KUMAMOTO 06
清正刎・石塘
玉名市小浜、横島菊池川、唐人川
土木の神様加藤清正による
菊池川の治水と新田開発
菊池川の変流による
河川改修を行った加藤清正
菊池川の清正刎・石塘(きよまさはね・いしども)は、16世紀の終わりから 17世紀の初めにかけて加藤清正により、菊池川の治水及び新田開発を目 的に築造されました。
もともと菊池川は桃田(現・玉名市大倉)から南に曲がって伊倉の西を通り、 横島町横島と天水町久島山の間を通って有明海に注いでいたといわれて います。洪水時には、現在であればJR鹿児島本線付近の高瀬付近だけで なく、九州自動車道付近まで浸水していたことになります。
そのため、清正は川を西の方へ直流する形にもっていき、旧菊池川は唐人川 として残し、水量も川幅も減じました。また、有明海は干満の差が大きく、満潮 時には平野部まで潮が入りこみ耕作できない土地が多くありました。唐人川 の久島・横島の間に石塘を築いて海水の進入を防ぎ、干拓によって広い 水田を開発しています。
受け継がれる轡塘と石刎
江戸時代の土木技術を知る隧道
清正は、新菊池川には、ところどころに轡塘(くつわども:遊水地)を築き、蛇 行するところには数多くの石刎(いしはね:水の勢いを和らげる)を設け、洪 水被害を軽減させました。清正築造の石刎は、今も、熊本市子飼上河原の 1 ~ 3石刎跡、長六橋下河原石刎跡、緑川岩下地区など、白川や緑川で も多く見ることができます。
石刎やくつわ塘は今でも受け継がれ、特に、石刎については、最近の河川工 事でも同じ形式での工事が行われています。土木の神様と云われる加藤清 正由来の、河川改修の高い技術です。
そして菊池川沿いの櫨並木は、18世紀の熊本藩の財政再建のための蝋 (ろう)専売制のために栽培されたものの名残です。秋になると紅く染まり、清 正刎・石塘とともに、歴史を伝える河川空間を創り出しています。
DATA
在地/玉名市小浜、横島
菊池川、唐人川
完成年/ 16世紀末~ 17世紀初(慶長年間)
設計者/加藤清正
施工者/加藤清正
管理者/国土交通省
<施設の形式・諸元>
石水制
石刎
長さ/ 3.6m ~ 12.6mの小規模な突き出た石組み