MIYAZAKI 06
塚原ダム(塚原発電所)
宮崎県東臼杵郡諸塚村
耳川水系で最初の歴史的ダム
近代的機械化施工の先駆け
東洋一を誇った歴史的ダム
万里の長城をイメージしたバトルメント
宮崎県の耳川水系には、戦前から戦後にかけて8 つのダムと、7つの水力発電所が建設されています。西郷ダム、山須原ダムに次いで建設されたのが塚原(つかばる)ダムで、耳川中流域の諸塚村と西郷村(現在の美郷町)に、戦前の土木技術の粋を集めて建設されたコンクリート重力式ダムです。
昭和10 年(1935)8 月に起工し、昭和13 年(1938)9 月に完成した堤高・体積は、戦前の国内で最大、さらに東洋一を誇った歴史的ダムです。
ダムの天端にはバトルメント(城の最上部にみられる胸壁)のような連続した凹凸が続き、越流部の両端に位置する小塔とともに力強い意匠は、万里の長城をイメージしたと云われています。
近代的機械化施工の先駆け
今も残るバッチャープラント
コンクリートの材料は延岡市から 40 ㎞もの索道(ワイヤーロープに搬器を 吊して空中輸送する施設)を用いて運搬し、この索道は延長しながら上流 の岩屋戸ダム、上椎葉ダムの建設にも活用されました。
また、技術的にも、低発熱の中庸熱セメントなどのコンクリート材料の開発 や機械化が行われました。現場にバッチャープラント(均質なコンクリートを 製造するための大型設備)を設置し、コンクリートの打設に日本初の可動 式ケーブルクレーンを採用したこと、玉石を使用しない最初の硬練コンクリー トダムであることなど、近代的な機械化施工を導入した工事で注目を集めま した。バッチャープラントは現在も当時のまま残されています。
この大工事の陰には、尊い 44 人の殉職者がありました。ダム右岸に建立 された慰霊碑には、女神と工事姿の人びと。その魂のこもったレリーフに心 打たれます。
DATA
所在地/宮崎県東臼杵郡諸塚村 耳川
完成年/昭和 13 年(1938)
施工者/間組
管理者/九州電力
文化財指定等/国登録有形文化財 経済産業省近代化産業遺産
<施設の形式・諸元>
コンクリート重力式ダム(テンターゲート)
堤高/ 87m
堤頂長/ 215m
湛水面積/ 122ha
総貯水容量/ 34,326,000 ㎥
発電/ 62,600kw