NAGASAKI 15
中島川変流部護岸
長崎県長崎市中島川
緩やかな弧を描く切石布積護岸
明治の変流工事による風景の継承
河口部の土砂堆積を改良する
変流工事の調査を行ったデ・レーケ
幕末から明治初期の動乱の中、長崎港の管理が十分にできない時代があり、中島川から流込んだ土砂が河口部に堆積しました。 その結果、外国船が長崎港へ接近できなくなったため、長崎県にて調査、設計を経て、明治20年(1887 ) から明治22年(1889 )にかけ、中島川の変流工事が行われました。
改修事業の調査は、長崎県より明治政府に依頼し、梅扶高元、九州ではヨハネス・デ・レーケにより行われました。デ・レーケは、政府に招聘され、九州では筑後川導流堤(福岡県大川市、佐賀県諸富町)の建設などで知られ、木曽三川分流工事(愛知県・岐阜県・三重県)など、日本各地の治水工事を手掛けたオランダ人技師でした。
明治における県最大の土木工事と
風景を継承する改修
完成した中島川変流部護岸は、約200mの切石布積の石護岸です。流路変更と共に、出島を平均約10 間(約18m)削り取り、拡幅されました。中島川変流工事は、第1次長崎港改修工事のひとつとして行われたもので、これは、明治時代における長崎県最大の土木工事となりました。
その後、昭和になって長崎大水害などの改修工事で上部が継ぎ足されるなどして変わっていた護岸は、出島の復元とともに現存していた当時の護岸から調査を重ね、歴史や文化的価値を損なうことなく、構造等の基準を満たす現代の土木工法で施工がなされました。
緩やかな弧を描く美しい中島川変流部護岸は、長崎の風景に溶け込んでいます。
DATA
所在地/長崎県長崎市中島川
完成年/明治22年(1889)
設計者/梅扶高元、ヨハネス・デ・レーケ
施工者/第1次長崎港湾改修事業
<施設の形式・諸元>
石護岸〈切石布積〉
延長/ 200m 残