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NAGASAKI 19

ししとき川下水路・同支線

長崎県長崎市鍛冶屋町、古川町

明治時代の下水道敷設の名残
先進的な石敷き人工水路

防災用の水路から
下水道溝へ

寺町通りと並行して流れるししとき川は、長崎市の市街地を流れる石敷の水路です。1600年代に大火事があり、長崎奉行が5つの川をつくったと云われ、そのひとつがししとき川で、今は電車通りの下をくぐり、銅座川へと流れ込んでいます。
明治18年(1885)のコレラの大流行で、長崎県令日下義雄は、ししとき川をはじめとする大溝、中溝、小溝の改修を通じた、長崎区の下水溝整備を指示しました。その総延長は75km あまり。日本初の市街地全域にわたる下水道敷設でした。

3 面石張りの水路

傾斜がついた石張りは
流れやすくするための構造

大溝6線のうちの第1線が、今もその一部の約200m が残るししとき川水路です。
3 面石張りで汚水漏れを防止し、水路の底部は水が流れやすいよう中央に向かって傾斜しているなどの特徴があります。当時の長崎の下水道技術の高さがしのばれます。ししとき川に沿った道は、かつては川端通りと呼ばれ共同井戸などもありました。
今も現役の水路として大切に使われ、明治24年(1891)完成の日本初のダム式上水道、本河内高部ダムとともに、先駆的な水道の歴史を伝える風景となっています。

ししとき川を受け継ぐまち

DATA

所在地/長崎県長崎市

完成年/明治20年(1887)

設計者/吉村長策

<施設の形式・諸元>

石敷水路

延長/ 200m(第2線残存部)、大溝、第2線、第6線