NAGASAKI 01
幸橋
長崎県平戸市市役所前 市道
和蘭商館の技を伝承した石工たち
320 年の時を刻む石橋
ポルトガル船入港の歴史
貿易の中心地平戸
天文12 年(1543)、種子島に1 隻の中国船が漂着し、この船に乗っていたポルトガル人により火縄式鉄砲が伝えられた「鉄砲伝来」。
その7 年後、天文19 年(1550)、ポルトガル船が長崎の島、平戸へ入港します。貿易による発展への期待を寄せた肥前国平戸藩の第3 代藩主、松浦隆信(まつらたかのぶ)がキリスト教の布教も認めたことから、ポルトガル船は平戸に来航することを常としました。貿易の中心地として、平戸は認知されていくようになります。
26 代鎮信(しげのぶ)が、亀岡に日の岳城を着工したのは慶長4 年(1599)のこと、しかし慶長18 年(1613)8 月、完成したばかりの居城を自ら焼き払うという事件がおこり、その後、亨保3 年(1718)に平戸城が再建されるまでの約100 年間、松浦氏は鏡川の御館を本拠としました。
90 年受け継がれた
オランダの石造建築技術
幸橋は、平戸市の港近くの河口に構築された石造の高欄付単アーチ橋で、30 代棟(たかし)が元禄15 年(1702)に架けた石橋です。
平戸港と鏡浦のため、御館と城下町との往来は渡船に頼っていました。寛文9 年(1669)、29 代鎮信(天祥)がここに初めて架けた木橋が幸橋と名付けられたことから、石橋に改架された後も残されました。
松浦郡鷹島で採れる、阿翁石(鷹島石)と呼ばれる玄武岩を用い、別名をオランダ橋。慶長14 年(1609)、平戸に和蘭商館(オランダ商館)が建てられた際に、石工、豊前が石造建物の工事に携わって覚えた技術を、地元の石工に伝授したものと伝えられています。
鎖国体制が進む中、橋の完成の時には、すでに平戸のオランダ商館は閉鎖されて出島へと移転。完成からは90 年あまりの時がたっていました。
技の伝承で架けられた石橋は、320 年の時を刻んでいます。
DATA
所在地/長崎県平戸市市役所前 市道
完成年/元禄 15 年(1702)
施工者/平戸藩主松浦雄香
管理者/平戸市
文化財指定等/国指定重要文化財
<施設の形式・諸元>
石アーチ
橋長/ 19.26m 幅員/ 5.12m(1 連)