NAGASAKI 20
銅座川暗渠部、護岸
長崎県長崎市 (銅座川)
電車通りの下を流れゆく
歴史ある石畳の川
行こか戻ろか思案橋
歓楽街として賑わう銅座のまち
坂本龍馬の刀傷が今も残る料亭花月がある長崎の丸山は、諸国を往き来する文人墨客が往き来した花街でした。丸山へと渡る思案橋は、「行こか戻ろか」と多くの人たちが思案したことから、その名がついたと云われています。
現在は川が埋め立てられ整備された道路わきに、欄干の跡を残すのみとなった思案橋ですが、その界隈の銅座のまちは、今でも多くの人で賑わう長崎を代表する歓楽街です。
電車通りの下を流れる
石畳の暗渠
その銅座町通りの裏を流れる銅座川は、戦後の道路拡張とともに暗渠化され、その上を駐車場として利用されていました。しかし元の風景に戻そうという機運が高まり、調査によって銅座から思案橋の間は石畳と石積みの護岸であることもわかりました。正確な年代はわかっていませんが、日本初の市街地全域にわたる下水溝整備が行われた明治19 年(1886)から大正4 年(1915)の頃に造られたと推定されています。
長い活動の末に平成19 年(2007)、40 年ぶりに船大工商店街より下流は暗渠が撤去され、川の風景が蘇りました。上流500m の部分は今も見えないままですが、電車通りの賑わいの下には、今日も石畳の川が流れています。
DATA
所在地/長崎県長崎市 (銅座川)
完成年/明治19 年(1886)~大正4 年(1915)頃
<施設の形式・諸元>
板状の敷石水路
石護岸(切石布積)