NAGASAKI 21
オランダ坂の石畳、石溝
長崎県長崎市東山手(外国人居留地)
祖国のような石畳
外国人居留地のオランダ坂
鎖国時代に唯一
海外の窓口だった長崎
江戸時代末期、約200年にも及んだ鎖国は、安政5年(1858)年の五箇国修好通商条約により終焉を迎えました。
翌年、長崎、横浜、函館が開港。多くの外国商人たちが、鎖国の時代も唯一海外に開かれていた長崎を目指し、外国人居留地が、長崎港を見渡す丘陵地の東山手と、南山手に設けられます。
外国人たちは、祖国のように山手のあらゆる坂道に割り石を敷くことを求めました。馬車などの通行にも、石畳による舗装はなくてはならないもので、居留地の坂道は、「オランダ坂」と呼ばれました。長崎では出島に住む外国人のことをオランダさんと呼んでいたことから、その名がついたと云われています。
居留地時代の
風景を守りながらの改修
切り通しから大浦東山手居留地跡へとのぼる石畳は、最も有名なオランダ坂
です。東山手十二番館、旧長崎英国領事館などの洋風住宅群とともに、石畳と石垣、石溝など 、居留地時代を偲ばせる風景が広がります。
時代の流れで拡幅や石畳の敷き直しなどの改修はありながらも、マンホールを敷石の下に埋設するなど、多くの外国人が暮らした頃の佇まいを守る丁寧な修景によって受け継がれてきました。
雨の日もまた、格別の風情があります。
DATA
所在地/長崎県長崎市東山手(外国人居留地)
完成年/明治10年以前(1878 以前)
管理者/長崎市
<施設の形式・諸元>
石張り
幅員/ 3.2 ~ 6.3m