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NAGASAKI 24

本河内低部(水道)堰堤 放水路橋

長崎県長崎市本河内

近代水道の父 吉村長策設計
日本最古の鉄筋コンクリート橋

令和の道路橋の真下に潜む
明治時代の鉄筋コンクリート橋

本河内低部ダムの放水路に架かる橋は、明治36年(1903)4月に完成した記録が残る、日本最初の鉄筋コンクリート橋です。
これまで琵琶湖疎水の山科運河日岡隧道東口に架けられていた運河橋が明治36年(1903)6月で、最古といわれていましたが、その橋より古いことが記録で明らかになりました。
長さ12.5m、RC 充腹アーチ形式。スパンドレル部には、三角飾りがあり、放水路に水が流れる時には、水階段が美しい景観をつくります。

近代水道の父が手掛けた数々の工事
100年前たった今もなお

設計は、明治24年(1891)に日本最初のダム式水道、この放水路橋が架かる本河内低部ダムを完成させた吉村長策です。水道黎明期に、長崎での本河内高部ダム建設を機に、日本各地で水道建設に関わり、「近代水道の父」と称されました。
長崎市では上水道のほか、下水道、中島川変流工事、水道第1回拡張の設計・監督を行っています。また、明治33年(1901)に佐世保総鎮守府建築課長に就任し、海軍施設の指導・監督にあたりました。佐世保の水道創設を担うことになります。赴任後、山の田ダム、岡本水源地などを完成させ、さらに佐世保市の水道計画を策定。明治40年(1908)に、日本で10番目となる近代水道として給水を開始しました。
これらの施設は、完成から100年以上たった今も使い続けられています。

本河内低部ダム天端の様子

DATA

所在地/長崎県長崎市本河内町

完成年/明治36年(1903)

設計者/吉村長策

管理者/長崎市水道局

<施設の形式・諸元>

RC 充腹アーチ(メラン式)

橋長/ 12.5m 径間/ 12.5m