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NAGASAKI 29

万関運河

長崎県対馬市美津島町久須保 (三浦湾~浅茅湾)

地峡部を開削し橋を架けた
対馬要塞の軍事用運河

島の最も狭い地峡部を選んで
開削された幅25mの運河

万関運河(まんぜきうんが)は、国境の島、対馬の中央部に位置し、明治33年(1900)に、海軍が島の最も幅の狭い地峡部を幅約25m、深さ約3mに掘削して、建設された延長約500m の運河です。
浅茅湾(あそうわん)に面した竹敷港にあった竹敷要港部から、佐世保鎮守府までの所要時間を短縮するための航路として開削されました。軍事上の目的から西の浅茅湾と東の三浦湾を、船ができるだけ早く抜けられる水路として造られ、駆逐艦、水雷艦などを東水道に出動させるため、岸に当たって損傷しないよう岸の両側には木材が張ってありました。

上島と下島を繋ぐ唯一の陸路
万関橋は3 代目

深い水路には、潮の干満による、大きな流れがみられます。明治38 年(1905)5 月、日露戦争において、東郷平八郎率いる日本の連合艦隊と、ロシアのバルチック艦隊が激しい戦闘を繰り広げた日本海戦の舞台となったのが対馬海峡でした。
運河の上には、万関運河の開削と同時期に架けられてから3 代目となる万関橋が鮮やかな赤色に輝いています。昭和49 年(1974)、万関運河は開発保全航路に指定され、翌年、幅40 メートル、深さ4.5 メートルに拡張されました。現在の橋は、平成8 年(1996)に完成した、北部の上島(かみじま)と南部の下島(しもじま)を結ぶ、唯一の陸路として、島の暮らしになくてはならない架け橋となっています。

3 代目となる万関橋

DATA

所在地/長崎県対馬市美津島町久須保(三浦湾~浅茅湾)

完成年/明治33 年(1900)

施工者/国(海軍)、大倉土木

管理者/国土交通省

<施設の形式・諸元>

石アーチ

橋長/ 34.5m 幅員/ 4.0m

支間/ 9.2m(3 連) 拱矢/ 5.00m