NAGASAKI 30
浅藻隧道他 厳原町内の県道トンネル群
長崎県対馬市下県巌原町 県道・巌原-豆酘-美津島線
陸軍機密事項のもと
戦前期に建設された石のトンネル
昭和時代戦前の
建設物資運搬用のトンネル
対馬は、国境の島として古くから国防の最前線でした。
厳原町内にある浅藻隧道(上の写真)、安神(あがみ)隧道、そして久和隧道の三つのトンネル群は、昭和時代の戦前に陸軍が対馬に建設したもので、砲台などの軍事施設の建設や物資の運搬に利用されました。明治から進められた、対馬の要塞化の歴史の中で建設されたトンネルです。
今では主要地方道として県の管理のもとにありますが、戦前は、軍の機密事項として公にされていなかったと云われています。
ポータルから見える
軍の設計技術と対馬の石文化
トンネルの坑口は石張りで、一番上の笠石に大きく粗いデンティル(歯状紋)のついた驚くほどに統一されたデザインで、整った印象を受けます。戦前の九州で見られる煉瓦が全く使われていない石の隧道は、対馬島内での材料調達と、石造建築文化を映した姿です。
歴史を遡れば、浅茅湾(あさもわん)をのぞむ城山(じょうやま)に築かれた古代の山城、金田城跡は、その時代に多い土塁ではなく、約2.8km にもおよぶ石の城塁を築き、防人が居住していた可能性もあるといいます。
当時は、付近の住民らをかり出して行った陸軍の直営工事であったと思われますが、綿密な設計施工と仕上げによる隧道は、軍の土木技術と島の石文化をあわせた姿とも感じられる隧道です。
DATA
所在地/長崎県対馬市 下県 巌原町
県道・巌原~豆酘~美津島線
完成年/【浅藻隧道】 昭和13 年(1938)
【安神隧道】 昭和14 年(1939)
【久和隧道】 昭和17 年(1942)
管理者/長崎県
<施設の形式・諸元>
コンクリートブロックトンネル(コンクリートポータル)
【浅藻隧道】 延長/ 204.0m 幅/ 4.5m
【安神隧道】 延長/ 226.2m 幅/ 4.5m
【久和隧道】 延長/ 266.0m 幅/ 4.5m