NAGASAKI 04
菰田(貯水池)堰堤
長崎県佐世保市菰田町 菰田水源地
海軍による分水と打ち切り
市による水源確保の水道史
戦前で最も高い堤体
日本遺産の構成要素のひとつ
菰田(貯水池)堰堤(こもだえんてい)は、昭和15 年(1940)の完成で、戦前の水道用コンクリートダムとしては最も高い40mの堤体を誇ります。
総貯水容量1,475,000 ㎥、有効貯水容量1,462000 ㎥は、佐世保の水道用ダム群で最大の規模を誇り、現在も、北部水系貯水池の貯水量約30%を担っています。
佐世保には、佐世保鎮守府が開かれた海軍との歴史があり、府庁、武庫倉庫群などが文化庁の日本遺産「鎮守府横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」の構成要素として認定されていますが、そのひとつが菰他貯水池を含む水道施設群です。
海軍より原水分与打ち切りの通告
市による水源確保の地
明治22 年(1889)、水深が深く天然の良港と称された佐世保湾に面する佐世保村に、大日本帝国海軍の佐世保鎮守府が開庁します。その後、寒村だった佐世保の人口も増加の一途をたどり、明治40 年(1907)、佐世保市は日本海軍からの分水を受け、全国で10 番目となる水道管による給水を開始しました。
しかし、昭和4 年(1929)、水の需要がますます高まる中、海軍の供給量の半分を市の水道が占める事態となり、原水分与の打ち切りが通告されます。
この通告により、市の水源確保のために選ばれたのが、菰田でした。菰田貯水池は、取水から配水までを、佐世保市が一貫して運用する第1 号となった施設です。
DATA
所在地/長崎県佐世保市菰田町 菰田水源地
完成年/昭和 15 年(1940)
管理者/佐世保市
文化財指定等/日本遺産
<施設の形式・諸元>
コンクリート重力式ダム
高さ/ 40m 延長/ 387.7m
総貯水溶量/ 1,475 千㎥
有効貯水溶量/ 1,462 ㎥