NAGASAKI 06
山の田(貯水池)堰堤 溢流路
長崎県佐世保市
近代水道の父、吉村長策設計
今も現役のアースダム
佐世保海軍に赴任した
吉村長策の設計
明治22年(1889)、佐世保村に、大日本帝国海軍の佐世保鎮守府が開庁します。軍港とともに、旧海軍用水道施設の整備が急速に行われました。
日露戦争が終わると、海軍施設の増強にともなって、水道施設のさらなる拡張が必要となります。山の田堰堤・溢流路は、明治41年(1908)に完成。
設計を行ったのは、近代水道の父として知られる吉村長策です。
本河内低部ダムとの共通性
階段式の溢流路
吉村長策は大阪で生まれ、工部大学校(現東京大学)で土木技術を学んだ後、長崎県からの要請で長崎市水道創設を行うこととなりました。後に、本河内低部ダムなどの設計を手掛けます。その後、大阪市、広島市、神戸市の水道建設に携わり、明治32年(1899)年、佐世保海軍へ赴任。着任後すぐに着手したのが、山の田堰堤でした。
さらに佐世保市水道計画を策定し、市はこの計画をもとに水道管敷設を進め、明治40年(1907)、日本海軍からの分水による、全国で10番目となる水道管給水を開始しました。
佐世保川へと続く階段式の溢流路など、本河内低部ダムとの共通性もある山の田堰堤。100年以上たった今も、市水道の主要な施設として使い続けられています。
DATA
所在地/長崎県佐世保市 佐世保川
完成年/明治41年(1908)
管理者/佐世保市水道局
文化財指定等/土木学会選奨土木遺産
<施設の形式・諸元>
アースダム
高さ/ 24.5m 延長/ 310.0m
10段以上のカスケード