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NAGASAKI 08

西海橋

長崎県佐世保市・西海市 国道202号(伊之浦瀬戸)

日本の長大橋の出発点となった
東洋一と称えられた鋼アーチ橋

日本三大急潮のひとつ針尾瀬戸
悲願の架橋

かつて、長崎県の西彼杵半島は陸の孤島と呼ばれ、佐世保方面へは船しかなく、時として、危険を冒して日本三大急潮のひとつに数えられる針尾瀬戸を渡らなければなりませんでした。
悲願だった「西海橋」は、昭和25年(1950)に着工。昭和30年に日本初の海峡横断橋として完成しました。「東洋一のアーチ橋」といわれ、関門橋、瀬戸大橋と、世界最大級の規模を実現していく日本の長大橋の出発点となった橋です。九十九島や五島列島が西海国立公園に指定されていることから、「西海橋」と名付けられました。

新西海橋と西海橋(奥)

世界最大級の長大橋を
実現していった技術者たち

西海橋の美しさは、戦後の物資がない中で鋼材を節約しながらも充分な強度をもたせたことによる、その鉄のレースを思わせる繊細さです。
流れが速く、海中にケーソン(基礎)と支柱をつくることができないため、空中からのケーブル操作によって両岸から突き出して組み立て、最後に両岸から伸びたアーチを中央部で閉合するというケーブルエレクション工法がとられました。
西海橋を設計したのは、旧建設省の吉田巌氏。東京大学工学部に在学中の論文「針尾瀬戸におけるアーチ橋の応力計算」が、旧建設省の目にとまり、就職が内定していたのを説得し、入省へとこぎつけ現場に送り込んだと伝えられています。現場監督とともに若手技術者による設計。吉田氏や西海橋を経験した技術者たちは後に、瀬戸大橋にも携わっています。

桁下に歩道がある新西海橋

新西海橋の完成
「橋は西から」を物語るシルエット

西海橋の美は、平成18年(2006)に、新西海橋が架けられたことにより、互いの構造を心ゆくまで楽しめるようになりました。西海橋と調和が図られたデザインで、鋼中路ブレースドリブアーチ橋と4径間連続PCラーメン箱桁橋で構成され、桁下に設置されたバルコニー付きの歩道からは、針尾瀬戸の豪快な満潮と桜を楽しむことができます。
朝日がのぼる頃、伊ノ浦海岸から見ると、トラスのシルエットが浮かびあがります。「橋は西から」ともいわれる長大橋の歴史を物語る絶景です。

伊ノ浦海岸から見る朝の風景

DATA

所在地/長崎県佐世保市・西海市 国道202号(伊之浦瀬戸)

完成年/昭和30年(1955)

設計者/吉田巌(建設省)

施工者/村上永一(建設省)、横河橋梁

管理者/長崎県

<施設の形式・諸元>

鋼ブレーストアーチ橋

橋長/ 316.3m 幅員/ 7.5m

最大支間/ 216.0m