OITA 13
御沓橋
大分県宇佐市院内町御沓
富士見橋崩落を乗り越え完成
2 橋が語る松田新之助の志
農村景観の中に佇む
町内最長の変則3 連アーチ
宇佐市院内町は「石橋の町」。駅館川(やっかんがわ)に合流する恵良川とその支流には江戸時代末期から昭和初期の石橋が75 基架かり、うちアーチ橋は64 基と、どちらも日本一を誇ります。材質となる石が豊富に採石できたこと.そして棚田や石垣などを組む技術を持った、優れた石工が多かったためと云われています。
御沓橋(みくつばし)は、町内最長を誇る変則3 連アーチ橋です。
すぐ下流に農業用井堰があり、静かな農村景観の中で存在感を放つ重厚な造りになっています。院内町に生まれ、今に残る石アーチ橋を数多く手掛けた名棟梁松田新之助による石橋で、大正14 年(1925)8 月に完成し、竣工までに1 年4 か月余を要しました。
崩落した富士見橋の完成から
4カ月後に完成した御沓橋
工費は、県費補助・村費補助・村民の寄附金を併せ、当時としては破格の2 万円でつくられたことが石碑に刻まれています。石工の日当は3 円50 銭、石ハツリ工は3 円80 銭、大工の日当は2 円70 銭の時代だったと云います。
この橋の完成のわずか4 カ月前、松田新之助は、1 度は崩落した富士見橋を私財を投げ打って再び挑み、完成させています。投じた金額の大きさがどれほどのものであったか、また、この御沓橋の工事途中でおきた富士見橋の崩落事故にどんなに心を痛めたことか。2 つの橋の歴史を知ると、後に石橋王と呼ばれるまでになった新之助の人生に思い至ります。
町を南北に流れ、深い谷を形成した恵良川の水面に映る、美しい変則3連アーチ橋。現在も生活道路として使われ、暮らしの中に息づいています。
DATA
所在地/大分県宇佐市院内町御沓
完成年/大正14 年(1925)
施工者/ 石工/松田新之助
文化財指定等/県指定有形文化財
<施設の形式・諸元>
石アーチ(凝灰岩)
橋長/ 59.0m 橋幅/ 4.55m 橋高/ 14.7m
径間/ 18.2m(3 連)