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OITA 14

荒瀬橋

大分県宇佐市院内町副~大副

名工が40 代で受託した県事業
今も車が通る大正時代のアーチ橋

鳥居橋との共通性
完全半円アーチと細い橋脚

宇佐市院内町は「石橋の町」。駅館川(やっかんがわ)に合流する恵良川とその支流には江戸時代末期から昭和初期の石橋が75基架かり、うちアーチ橋は64基と、どちらも日本一を誇ります。
荒瀬橋は、このうち恵良川に架かる2連アーチのめがね橋で、橋高18.3mと、町内で最も水面から高い石橋です。名棟梁松田新之助による石橋ですが、完全半円アーチで橋脚が細く「石橋の貴婦人」と称される鳥居橋より3年早い完成で、昭和14年(1939)に大修理が行われていますが、2つの橋には共通性がみられます。

完成当時のままの親柱

県内初の通行料徴収を行った歴史
110年たった今も車走る石橋

大正2年という軍国主義の時代に、県の工事として松田新之助に発注され、軍事的にも重要な役割を果たしていたと思われます。しかし、県では負債が多かったため、許可を得てしばらく通行料を徴収しており、県下で最初の有料道路としても歴史的な橋です。
灯籠風の親柱など当時の面影を強く残しています。完成から110年あまり経っていますが、鳥居橋と同じく、車の通行も可能な現役の橋として使われています。
富士見橋、御沓橋より12年ほど早く、新之助が40代の頃に架けた橋。院内町では、松田新之助の年代とともに変化してゆく、橋の形状も見どころです。

渓谷を渡る御沓橋と院内町の風景

DATA

所在地/大分県宇佐市院内町副~大副

完成年/大正2年(1913)

施工者/石工/ 松田新之助

文化財指定等/宇佐市指定有形文化財

<施設の形式・諸元>

石アーチ(凝灰岩)

橋長/ 47.4m 橋幅/ 5.95m 橋高/ 18.3m

径間/ 14.0m(2連)