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OITA 16

富士見橋

大分県宇佐市院内町温見、斉藤

水系と地形を読み解く
名棟梁松田新之介が架けた橋

橋の上からは豊後富士
名棟梁松田新之介施工の橋

宇佐市院内町の地形は、谷が多く急峻な渓流であったことから、橋は生活に欠かせないものであり、落ちない永久橋は村民の悲願でした。
富士見橋は、橋の上から豊後富士と呼ばれる由布岳が遠くに見えることから、その名が付けられました。設計・施工は、松田新之介と吉村万太郎。院内町に生まれた松田新之介は、関西・関東で土木事業に身を投じて技術を学び、明治30年(1897)、30歳で帰村。石工たちを束ね、今に残る石アーチ橋を数多く手掛けた名棟梁です。

轟音とともに崩落
私財を投げ打ち再び

この橋は工事半ばで一度、大音響とともに崩落しました。松田新之助は、田畑山の私財を投じ、名工としての意地と信念で再び挑戦し、翌年の大正14年(1925)、見事に完成したという逸話が残されています。
このことをきっかけに新之介は、石橋架設請負業をやめることを宣言しましたが、人びとに切望され、昭和の初めまで、地域の石橋を架け続け、「石橋王」と称えられました。
複雑な川床、その上で踏ん張る橋脚の水切り(洪水時の流木などをとめないための舟形のかたちをした構造)の高さは、この地域の洪水の怖さも物語っています。地形、水系を読み解いた名工の技と精神に触れる橋です。

複雑な川床の上にのった橋脚の水切り

DATA

所在地/大分県宇佐市院内町斉藤

完成年/大正 14年(1925)

施工者/石工 松田新之助、吉村万太郎

管理者/宇佐市

文化財指定等/宇佐市指定有形文化財

<施設の形式・諸元>

石アーチ(3連)

橋長/ 48.1m 橋高/ 14.0m

橋幅/ 4.5m 径間/ 11.3m ~ 14.7m