OITA 22
第三区 明治大分水路橋
大分県大分市横瀬
平野部の生命線となった
明治時代の重厚な水路橋
幹線 32 ㎞
支線 41 ㎞の大規模水路
地形的に山谷が多い大分において、農業用水を行き渡らせることは幕末からの懸案でした。明治から大正にかけ、土木技術の近代化とともに、大規模な農業用水工事が着手されていきます。
明治大分水路が着工したのは明治30 年(1897)のこと。幹線32 ㎞、支線41 ㎞にもおよぶ水路が完成したのは、それから9 年後の明治39 年(1906)のことでした。
変則 2 連アーチの
重厚で独特なかたち
第三区明治大分水路橋は、横瀬川に架かる凝灰岩の用水路で、変則2連のどっしりとした重厚な造り。橋上の水路部は、石を階段状に6 段ほど積み上げるなど、独特な構造をしています。
明治大分水路は、東稙田(ひがしわさだ)の平坦地である高瀬、田尻、光吉、寒田鴛野(そうだおしの)、宮崎の各部落の水田を潤し、地域の発展に大きく寄与した農業の生命線でもありました。
DATA
所在地/大分県大分市横瀬
完成年/明治 39 年(1906)
<施設の形式・諸元>
石アーチ(水路橋、凝灰岩)
橋長/ 32.2m 橋幅/ 4.7m
径間/ 7.5m(2 連)