OITA 24
今市石畳
大分県大分市今市 市道
参勤交代の風情が残る
勝海舟と龍馬も歩いた石畳
今市の宿と鶴崎の港
人とモノが行き交った拠点
大分県大分市の今市の石畳は、岡藩の今市宿の風情を今に伝える豊後街道(大分からは肥後街道)の参勤交代道です。
今市宿は、中川氏によって岡藩の宿場町として文禄3 年(1594)に開かれ、お茶屋や宿屋、代官所などが軒を連ね、物資や旅人が行き交う拠点でした。慶長6 年(1601)、肥後に入った加藤清正は、久住、野津原、鶴崎などに飛び領を得ます。鶴崎は、肥後・熊本藩が、瀬戸内海へ向かうための港となり、宝永年間(1704 ~1710)には細川氏の藩船が置かれ、京都や大阪との交易地としても繁栄しました。
今市石畳道の熊本側には、清正が創建したと伝えられる丸山神社が位置しています。
人びとの熱意で
土の下から復活した石畳
参勤交代の船団は鶴崎を出港すると、豊後水道を抜けて瀬戸内海を通り、大阪からは東海道を通って江戸へと約1,147 キロを旅しました。海路を使った参勤交代は悪天候の影響受けやすく、やがて陸路となっていきます。勝海舟と坂本龍馬も、幕府の命により長崎に赴いた際、佐賀関に上陸し、この石畳を歩いています。
今市の石畳の道筋は、一筋道の中央を左右に2 回直角に曲げてあり、その両角の間に防火藪を設けるなど特殊な技法の跡も見られます。しかし一時は自転車の通行のために土をかぶせられ存続の危機がありました。地域の人びとの熱意がバイパス建設となって実り、土が除かれ復活した石畳です。
DATA
所在地/大分県大分市今市 市道
完成年/文禄 3 年 (1594)
施工者/岡藩主中川氏
管理者/大分市
文化財指定等/大分県指定史跡
<施設の形式・諸元>
石畳
延長/ 660m
道幅/ 8.5m の未舗装道路中央に幅 2.1m の石畳