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OITA 30

久戸谷旧隧道

大分県竹田市竹田

焔硝割工法の施工跡残る
明治時代の素掘りの隧道

トンネルの技術史を
今に伝えるトンネル

久戸谷隧道(くとだにずいどう)は、人、馬車道として明治6年(1873)の開削出願によって進められた事業により建設されました。主要地方道竹田・高千穂線の現久戸谷トンネルに平行するように存在しています。
この地域では、この隧道のほかに、同時代に12ヶ所の掘削の報告がされていますが、いずれも度重なる改修や自然崩落、あるいは新隧道の掘削などで当初の姿をとどめていません。一方、久戸谷隧道は、ノミで石に穴を開け、火薬を入れて爆破、破砕する焔硝割工法や、トンネル掘削の際、本坑に先立って掘削される断面積の小さい先進導坑などの施工跡が残る最古のものとして、貴重な文化遺産となっています。

隧道内部

人や馬車から自動車へ
歴史を物語る3世代のトンネル

人や馬車が行き交ったトンネル内部は途中でくの字に屈折し、幅員は2.1m、高さも2.8m あまりで一定ではありませんが、剥落も少なく、当時の姿をとどめています。また、一部に土、消石灰、天然にがりを混ぜて練り、塗って叩き固める、三和土(たたき)舗装が施されているのも特徴です。
直入郡誌第二十四によれば、明治26年(1893)に久戸谷新隧道が完工したためその役目を終えており、現在ではさらに大断面の久戸谷トンネルが構築されていることから、この山には旧隧道、新隧道、現トンネルと、3世代にわたる貴重な歴史が残っています。

土砂に埋もれつつある入口

DATA

所在地/大分県竹田市竹田

完成年/明治7 ~ 20年(1874 ~ 1887)

管理者/竹田市

文化財指定等/竹田市指定有形文化財

<施設の形式・諸元>

素掘り(焔硝割の技術も加わっている)

全長/ 109.00m 幅員/ 2.10m 高さ/ 2.80m