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OITA 31

山王橋

大分県竹田市飛田川坂折

「山王橋頼母子講」で架けた
120 年現役の3 連アーチ

石工は変わっても
同じ山から採石された高欄

山王橋は、明治38年(1905)の日露戦争の祝勝を機に、地元竹田市飛田川の工藤虎彦らによって企画された稲葉川に架かる石橋です。
翌年、完成を目前に大洪水で流失しましたが、ただちに再工事にかかり完成にこぎつけました。完成当時は高欄の無い橋でしたが、5年後に高欄が取り付けられました。石工は最初の橋本体が臼杵の平川千代蔵兄弟ら、高欄は地元の小沢勘郎、山口二三郎となりましたが、石材は同じ地元志高知の山から採石しています。

完成から5年後に造られた高欄

20年で返済
民間で架けた幹線道路の橋

熊本県の阿蘇に通ずる幹線道路の橋で、架設の費用は竹田、直入などの住民の寄付金と「山王橋頼母子講(たのもしこう・会全員で一定額を積み立て、融通しあう互助制度)」によって工面され、大正2年より20年間で返済されました。右岸寄りのアーチの要石には、珍しく親子の名(佐藤タズ・佐藤今朝男)が刻まれています。明治後半から昭和初めまでに架けられた比較的新しい石橋が多い竹田市近辺の橋の中では、最も古い石橋です。
市内の歩車道で最も長い3連アーチの石橋は、現在も生活道路として使用されています。上流側にある水流の強さを和らげる水制工が丸みを帯びているのが特徴で、美しい流れを見せています。近くの遊歩道から、ゆっくりと眺めることができます。

臼杵と竹田の石工によって造られた石橋

DATA

所在地/大分県竹田市飛田川坂折

完成年/明治40年(1907)

明治45年(1912)に高欄・親柱

文化財指定等/竹田市指定有形文化財

<施設の形式・諸元>

石アーチ(凝灰岩)

橋長/ 56.0m

橋幅/ 3.0m

径間/ 17m(3連)

拱矢/ 6.0m