OITA 32
朝地橋
大分県豊後大野市朝地町朝地
大正時代に鉄道と道路を繋いだ
片側1 車線の石橋
軽便鉄道法による地方鉄道敷設
大正12年開業の朝地駅
明治39年(1906)に公布された鉄道国有法により、17社の私設鉄道が国有化されました。それによって、私設鉄道の敷設出願がほとんどなくなり、地方鉄道の建設を推進するため簡易な条件の法律が求められ制定されたのが「軽便(けいべん)鉄道法」です。これにより、日本各地で軽便鉄道ブームがおこります。
大分-中判田間を繋ぐ犬飼軽便線が開業したのは大正3年(1922)のこと。「地方鉄道法」の制定により国鉄犬飼線と名前を変え、大正11年(1922)に緒方、翌年には朝地まで延伸、開業しました。
産業道路の重積を担った
幅員7.4m
朝地駅は、平井川に隔てられた坪泉にあったため、庄田の県道と駅前広場を結ぶ朝地橋が、駅の完成にあわせ、大正12年(1923)に完成しました。別名「駅前橋」と呼ばれています。
朝地橋の幅員は7.4m。当時としては他に類をみない、車が橋上で離合できる橋。鉄道と地域を結ぶ玄関口となり、大型車輌による輸送の窓口、産業道路として重責を担ってきた姿です。
大分から西へと延びてきたこの犬飼線と、熊本側からの路線が阿蘇外輪山を越えて繋がり豊肥本線となるのは、さらに後の昭和3年(1928)のことです。
DATA
所在地/大分県豊後大野市朝地町朝地
完成年/大正12年(1923)
施工者/石工 甲斐善弘
管理者/豊後大野市
文化財指定等/豊後大野市指定有形文化財
<施設の形式・諸元>
石アーチ
橋長/ 33.4m
幅員/ 7.5m
径間/ 19.5m(1連)
拱矢/ 9.9m