OITA 38
安政橋
大分県臼杵市野津町野津市、生の原
明正井路第一拱石橋と同じ石工
水路と歩道のアーチ橋
交通の難所に架けられた
臼杵城へと続く藩道の橋
安政橋は、その名の通り、安政の最後の年である安政7 年(1860)に架けられた、大野川の支流、野津川を跨ぐ橋です。この地は、江戸時代は三重郷と臼杵城下への藩道で、雨のたびに川止めとなる難所でした。
今の橋は二代目で、石組みの緩みで大正5 年(1916)に崩壊し、翌年に再架設されたもの。名前も変わり、仮屋橋と親柱に刻まれています。
石工川野茂太郎の石橋と
近代的な鋼鈑桁橋の明治橋
石工は臼杵の川野茂太郎です。
茂太郎が手がけたアーチ石橋は、大野川筋で40を越えるといわれ、その中には大正8 年(1919)に完成した、竹田市の明正井路第一拱石橋などがあります。安政橋は、水路が併設されているのが特徴です。
下流に目を移すと、国道10 号に架かる鋼鈑桁橋の明治橋が見えます。江戸時代の伝統技術の石橋と、明治の近代技術の鋼橋をあわせ見る、隠れた橋の名所です。
DATA
所在地/大分県臼杵市野津町野津市、生の原
完成年/初代 安政7 年(1860)
再架設 大正6 年(1917)
施工者/川野茂太郎(再架設)
管理者/臼杵市
文化財指定等/臼杵市指定有形文化財
<施設の形式・諸元>
石アーチ
橋長/ 29.3m 幅員/ 3.2m
支間/ 23.2m(1 連) 拱矢/ 7.8m