最新のブラウザをご使用ください

古いブラウザにてご利用いただいた際に、部分的に機能が制限されたり、また正常にページが表示されない場合がございます。

OITA 52

明正井路 一号幹線一号橋(第一石拱橋)

大分県竹田市大字門田

谷を越え道を越えて水を渡す
明正井路 17 基の第 1 号

溶結凝灰岩の複雑な地形の中
3 つの川から取水し送る

井路(いろ)とは、灌漑水路のこと。
その名が、計画及び工事が明治から大正にわたって行われたことに由来する「明正井路」は、大分県竹田市の緒方川と神原川、大野川の3 つの川から取水し、豊後大野市に至る約717ha にわたる農地を潤しています。総延長175km、灌漑面積2323ha。起伏が激しく阿蘇山の火山活動でできた溶結凝灰岩の地形が広がる中、17 基もの水路橋をつくった大規模な灌漑施設です。

溶結凝灰岩の上にたつ

大分県技師矢嶋義一設計
堂々たる風格

江戸末期、豊後岡藩藩主の命で、すでに構想がありましたが、資金難のため実施できず、明治に入ると日清戦争により計画は中止。大分県から設計技師矢嶋義一が派遣され、ようやく着工したのは大正6 年(1917)のことでした。しかし第一次世界大戦による資材費の高騰などで予算は倍にも膨れ上がり、再びの資金難による中断にも追い込まれます。
苦難を乗り越え、大正13 年(1924)、約7 年もの歳月を経て完成しました。橋脚の石版には、設計者矢嶋義一、石工平林松造 他8 名と刻まれています。大分県道8 号を堂々と跨ぐ、高さ約78m、端正な布積みの6 連アーチ橋。
南仏プロヴァンスと竹田市が舞台となった、松本清張の『詩城の旅びと』で「ローマの遺跡を思わせる」といわれた風格の土木遺産です。

秋の明正井路第一石拱橋

DATA

所在地/大分県竹田市大字門田

完成年/大正 8 年(1919)

設計者/大分県農業技手 矢島義一

施工者/石工 平林松造(熊本出身)ら9 名

管理者/大分県

文化財指定等/土木学会選奨土木遺産

<施設の形式・諸元>

石アーチ水路橋

橋長/ 78m 橋幅/ 2.8m

拱矢/ 3.3 m 径間/ 10.7m(6 連) 環厚/ 60cm