OITA 53
岩戸橋
大分県竹田市萩町
肥後、延岡への南郷路を阻む
「岩の戸」をあけた石橋
「岩の戸」と呼ばれた険しい地形
土橋から石橋へ
竹田市荻町の町はずれには、大分県指定文化財としては、最初の石造アーチ橋、岩戸橋が架かっています。橋長28.2m、径間27.4m、壁石は乱積みの素朴な石積みです。
この道はかつて南郷路と呼ばれ、岡城から肥後領南郷方面および延岡領高千穂へ通ずる要路でした。岩戸橋が架けられる前は、現在の鋼橋の下あたりに転石を利用して石垣を築き、丸太木を渡して土橋を架けて通行していました。しかし、台風や大雨の度に橋は流されることが多かったようです。
大野川の支流山崎川が外輪山の台地を深く浸食し、文字通り「岩の戸」のように険しい地形でした。
長崎の架橋技術が伝わり
陸の孤島に馬車が通る
江戸時代も後半に入ると、長崎で発達した石橋の技術が肥後を経て豊後に流入して来ました。村民は岡藩に架橋を申請し工事に着手、2ヵ年の歳月を費やして嘉永2年(1849)に完成しました。
その後、人々の安全な通行ははもちろん、陸の孤島と云われた旧柏原村(現・竹田市)にも車馬の通行が可能になりました。
現在は通行止めとなっていますが、近接して3代架かる橋の風景は、架橋技術の進歩とともに、僻地の暮らしにも大きく貢献してきた石橋の力を物語っています。
DATA
所在地/大分県竹田市萩町
完成年/嘉永 2年(1849)
設計者/庄屋 垣田角次郎
施工者/(石工)久米蔵、後藤桧五郎
管理者/竹田市
文化財指定等/大分県指定有形文化財
<施設の形式・諸元>
石アーチ
橋長/ 28.2m
橋幅/ 4.4m
支間/ 17.4m(1連)
拱矢/ 8.9m