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OITA 05

耶馬渓橋(オランダ橋)

大分県中津市本耶馬渓町曽木、樋田

村民 21 名による一大観光振興計画
名所となった 8 連アーチ

水平な石積みで愛称はオランダ橋
国内最長 116mの石橋

青の洞門の500 メートル下流、山国川に架かる耶馬溪橋は、大正12 年(1923)に竣工した、国内で唯一の8 連で、最長の116 メートルを誇る石造アーチ橋です。熊本や大分の石橋とは違い、長崎に多い水平な石積みで、モルタルの白も際立つことから、オランダ橋という愛称で親しまれています。
曽木の村民21 人が共有林を売却して4 万円という莫大な資金を捻出。設計者は陸軍工兵中尉だった大分県技師の松永昇、工事は地元の岩渕万吉が請負い、名工松田新之助のほか、地元の多くの石工が関わった一大観光振興計画でした。

九州北部豪雨による改修後の馬渓橋

羅漢寺橋

馬渓橋、羅漢寺橋とともに耶馬渓三橋
石文化の偉業を繋いで100 年

しかし、その計画には、日清戦争の後に旧日本陸軍が満州に環境が似ているために用地接収し、演習を行っていた日出生台(現在の自衛隊日出生台演習場)への道という、光と影がありました。 
開通した年、耶馬溪が国指定名勝となって全国に知られると、上流の馬渓橋、羅漢寺橋とともに「耶馬渓三橋」として、青の洞門と競秀峰を楽しむ観光コースとなり、石文化の偉業を繋ぐ橋であり道となりました。完成から3 年後の大正15 年(1926)、東京の隅田川に鋼鉄の橋、永代橋(えいだいきょう)が完成します。これ以後、日本中の大きな橋は、石橋から鉄や鉄筋コンクリートへと姿を変えていきます。
耶馬溪橋の日本一は、橋の構造の転換期を物語る、永久の称号となりました。

耶馬渓橋の補修の歴史を伝える銘板

元の姿に戻した平成の補修
志受け継ぐ令和の補修

架橋以来、風雪に耐えてきた耶馬溪橋でしたが、昭和19 年(1944)の大洪水で、高欄などが流出します。コンクリートにより復旧された後、橋体にひび割れが生じたため、平成10 年(1998)から翌年にかけ、当時の資料をもとに補修・修繕されました。
しかし、平成24 年(2012)7 月、九州北部豪雨によって損壊。補修を経て翌年の6 月に復旧し開通しましたが、令和5 年(2023)7月にも、未曽有の雨が襲います。山国川が高欄を越える高さまで増水し、流木の圧によって連なって倒壊した高欄が再び流出する被害を受けます。
色があう凝灰岩の入手、年々大きくなる自然災害の被害を少なくするため連結強度を弱めるのかなど、河川改修とともに検討を重ねながら、架橋100 年を迎えた耶馬渓橋の姿を受け継ぐ工事が進められています。

洪水前の耶馬溪橋

DATA

所在地/大分県中津市本耶馬渓町曽木、樋田

完成年/大正 12 年(1923)

設計者/中津管区土木事務所 永松昇

施工者/現場監督・仲福太郎、

請負者/岩渕万吉 石工・小池嘉十郎、

鳥越七郎、仲幸蔵

管理者/大分県

文化財指定等/大分県指定有形文化財

<施設の形式・諸元>

橋長/ 116.0m

径間/ 12.8m(8 連)

拱矢/ 3.0m

形式/石アーチ