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OITA 06

馬溪橋

大分県中津市耶馬溪町

河川改修による存続の道
未曽有の洪水を乗り越えた姿

耶馬溪三橋のひとつ
石工甲斐伊蔵の5 連アーチ

江戸時代、山国川の右岸は幕府の天領で代官道が通り、左岸が中津藩領でしたが双方の道を繋ぐ手段は、夏の渡し舟や秋冬春に架けられる仮橋でした。近代化が進む大正12 年(1923)、一大観光振興計画の中で完成した耶馬渓橋と同じ年に馬溪橋も完成しました。石工は山国川に多くの石橋を架け、弟子を育てた甲斐伊蔵です。
開通した年、耶馬溪が国指定名勝となって全国に知られると、3 連アーチの羅漢寺橋、青の洞門下流の8 連アーチの耶馬溪橋(オランダ橋)とともに「耶馬溪三橋」として、青の洞門と競秀峰を楽しむ観光コースとなります。
5 連アーチの馬溪橋から眺める山々は、紅葉と新緑の名所です。

平成17 年(2005)の馬溪橋

馬溪橋は存続し
治水と文化財を両立した計画へ

江戸時代に架けられていた仮橋も、山国川の増水の度に流され、両岸の人びとが修復していました。大正3 年(1914)に完成した下城井橋も、8 年後の大洪水で流出。そして架けられたのが石橋の馬溪橋です。
しかし、平成24 年(2012)7 月、九州北部豪雨で被災し、欄干の一部が崩壊し、ついに橋脚の表面にひびが入り通行止めとなります。橋が位置する平田・戸原地区では流域で最も多い浸水被害もあり、橋脚が山国川の濁流を堰き上げた水位上昇によることから、撤去による架け替えか存続か、地域との対話が重ねられていきました。
そして、馬溪橋を存続した上で河道拡幅と連続堤防を整備する計画となりました。川床の奇岩は残して掘削、拡幅され、堤防、護岸は現地で採れた石を使うなど橋との調和も図られています。治水と文化財を両立した河川整備とともに、100 年の時を越え、また歩み始めた馬溪橋の風景です。

令和5 年(2023)の馬溪橋と護岸

DATA

所在地/大分県中津市耶馬溪町大字平田町

完成年/大正12 年(1923)

施工者/石工 甲斐伊造

文化財指定等/中津市指定有形文化財

<施設の形式・諸元>

石アーチ

橋長/ 82.6m 橋幅/ 6.0m

径間/ 13.9m(5 連) 拱矢/ 4.8m