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OITA 09

石坂石畳道

大分県日田市花月(市ノ瀬町・伏木町)

広瀬淡窓の漢文が今に伝える
歴史に残る道路工事

中津街道の交通の難所
私財を投じた掛屋 京屋作兵衛

徳川幕府が九州の諸大名を監視した天領日田には、西国筋郡代が置かれ、九州の政治や経済、文化の情報がすべて集められていました。重要な情報を江戸に伝えるため日田から中津方面に通じる中津街道(豊前街道)が開かれ、その一部に石坂石畳道があります。
市ノ瀬から伏木峠(ふしきとうげ)の間の急坂は、外様の森藩の領地で交通の難所でした。年貢米や海産物の輸送も多かったため、嘉永3 年(1850)、日田隈町の掛屋(幕府の公金を扱う商人)京屋作兵衛は森藩の許しを得て、私財を投じて周防(現・山口県周防市)の石工に依頼し整備を行いました。

石畳

牛馬に配慮した段差で
1,260m 続く石畳

全部で16ヶ所のつづら折りで1,260m 上がり、道幅2.2m の中央部分には堅い切石を、左右には山の自然石を敷いて、長期的使用に耐える工夫と山道の美しさをつくり出しています。勾配は7 度から10 度。急な所は牛馬の歩行に配慮し、2、3 歩進んでは1 段上がるような緩い段差をつけるなどの工夫がされています。
完成の翌年には、日田に「咸宜園(かんぎえん)」を開いた儒学者の広瀬淡窓が、石坂改修の由来を漢文で称えた「石阪修治碑」という記念碑が建てられています。

中央は切石、左右は自然石が敷かれた急坂

DATA

所在地/大分県日田市花月(市ノ瀬町・伏木町)

完成年/嘉永3 年(1850)

設計者/周防の国の石工 吉兵衛 と永次郎

施工者/京屋作兵衛

管理者/日田市

文化財指定等/大分県指定史跡

<施設の形式・諸元>

石畳

延長/ 1.26km 幅員/ 2m