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SAGA 13

大溺堤防

佐賀県佐賀市東与賀町

江戸から明治の大規模干拓へ
最後の藩主鍋島直大の干拓事業

堤防上を車が通る
明治前期で最大規模の堤防

大搦堤防、授産社搦堤防は、明治以降の佐賀平野の干拓によってできた東与賀村(現・佐賀市東与賀町)の石積みの堤防群で、明治前期の有明海沿岸の干拓堤防としては最大規模です。
大搦干拓地(西大搦、70数ha)、授産社搦干拓地(東大搦、66ha)の外周に築造され、高潮被害を防いできました。現存する石積み堤防の延長は、大搦堤防が1,425m、授産社搦堤防が1,325m。現在も堤防の上を走る道路や二線堤として機能し、石積み部分の保存状態も良く、築造当時の面影をよく残しています。

大搦・授産社搦堤防周辺

数百町歩の美田をつくった
干拓の父、辻寅年

大搦堤防は、旧鍋島藩主鍋島直大(なおひろ)が干拓に必要な建設資材・工事費の全てを出し、搦方役人で数百町歩の干拓によって美田をつくり干拓の父といわれている辻寅年(東与賀村出身、福岡日出麿参議院議員の祖父)が築造の指揮に当たりました。明治元年(1867)に起工し、廃藩置県が行われた明治4年(1871)に完成しています。
授産社搦は明治20年(1887)~明治期前半に行われた干拓で、元鍋島藩足軽3500 余名が復禄請願により下賜された公債をもとに授産社を結成し、行った干拓です。
この後、沖合いに向けて昭和9年竣工の大授搦(有明干拓第二の規模、313ha)へと展開。明治以降次第に大型化し、県または国が干拓事業に当たるようになってきます。

大搦堤防周辺の干拓地と有明海

DATA

所在地/佐賀市東与賀町大字飯盛大搦

完成年/明治元年(1867)起工

明治4年(1871)竣工

設計者/辻演年

施工者/旧鍋島藩主鍋島直大

管理者/佐賀市

文化財指定等/土木学会選奨土木遺産

<施設の形式・諸元>

石積み干拓堤防

【大搦堤防】    延長/ 1,425m

【大搦干拓地】   面積/ 70数ha

【授産社搦堤防】  延長/ 1,325m

【授産社搦干拓地】 面積/ 66ha