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SAGA 16

蛤水道

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町 蛤岳 田手川

藩境の水を奪った
背振山系の秘かな人工水路

福岡藩の川水を佐賀藩の川へ
標高863mでの工事

標高1,055mの脊振山を最高峰とする、佐賀県神埼市と福岡県福岡市との境に位置する脊振山系。蛤水道(はまぐりすいどう)は、江戸時代初期に佐賀鍋島藩の家臣で領内の水利や治水を執り行った成富兵庫茂安が、その中腹に築いたものです。
元和年間(1615~1624)、標高863メートルの蛤岳に井堰(溜池)をつくり、平野に至る幅1.3m、全長1,260メートルもの「蛤水道」をつくります。藩境にある蛤岳からの水は、もともと福岡黒田藩側の大野川に流れていますが、佐賀藩側の田手川流域は深刻な水不足に悩まされていたからです。

成富兵庫茂安の水功碑の説明板

お万の伝説に託された
蛤水道の歴史伝承

蛤水道によって大野川が枯れ、福岡藩側は大騒動となりました。身を挺して佐賀藩領地へ忍び込み、溜池を壊そうとして果たせず滝壺に身を投げた、お万という女性と乳飲み子の悲しい伝説も残ります。
その後は水争いを避けるため、取り過ぎないよう水路の4 カ所に「野越し」と呼ばれる横越流堰をつくり、大野川に戻す仕組みが造られました。
昭和27年(1952)の改修でコンクリートとなりましたが、この蛤水道、九千部山を経て基山へつながる道は九州自然歩道として整備され、歴史と水の流れをたどる名コースとなっています。

蛤水道に沿うように走る九州自然歩道

DATA

所在地/佐賀県神埼郡吉野ヶ里町 蛤岳(田手川)

完成年/寛永3年(1626)

設計者・施工者/成富兵庫茂安

管理者/吉野ヶ里町

<施設の形式・諸元>

水路

延長/ 1,260m 幅/約1.3m

高さ/約1.0m