最新のブラウザをご使用ください

古いブラウザにてご利用いただいた際に、部分的に機能が制限されたり、また正常にページが表示されない場合がございます。

SAGA 17

千栗堤防

佐賀県三養基郡みやき町筑後川右岸

300 年間破堤なき歴史をもつ
暴れ川右岸の二重堤防

間100 間の二重堤防
川表には竹、川裏には杉

利根川(坂東太郎)・吉野川(四国三郎)とともに、筑紫二郎の名で日本三大暴れ川のひとつに数えられる筑後川。千栗堤防は、寛永年間(1624-1644)、佐賀藩成富兵庫茂安によって、その右岸に築造された二重堤防です。完成まで12 年の歳月を費やしたと云われています。
この堤防は高さ約7.2m、馬踏(ばふみ・堤防の裾の平らなところ)約3.6m、表裏共法勾配2 割と大きなものでした。川表犬走(いぬばしり・堤防の小さな段)約16.2m、川裏約5.4m、堤敷幅約は54m で、千栗から坂口まで延長3 里(約12km)に及んでいました。
堤防の補強のために、川表には竹が、川裏には杉が植付けられ、「杉土居」とも呼ばれていました。堤防は二重になっていて、その間は100 間(約180m )もあり、これを洪水時の遊水池とし、水勢を弱めて本堤の安全をはかる、当時としてはきわめて巧妙な構造でした。

筑後川河川事務所 筑後川の治水事業の歴史より

顕彰の碑

大河をめぐる
佐賀・久留米両藩の水防

また、この下流にある安武堤防は、寛永年間(1626-1641)に久留米藩が三瀦郡安武村地方(現・久留米市安武町)に延長1 里弱(約4km)の間に築いた堤防で、高さ約7.2m、馬踏約5.4m、敷幅約54m の規模となっています。その後、寛保元年(1741)に山浦から下流住吉におよぶ延長約約1.4km が補築されています。
千栗・安武両堤とも、鍋島・有馬両藩の水防上、重要な堤防として役割を果たし、築堤以来300 年近くにわたり破堤などが起こらず、地域住民を水害から守りました。
現在は河川改修により約180m を残すのみとなっていますが、千栗土居公園として整備されています。

厳木ダムの堤体とさよの湖と管理所

DATA

所在地/佐賀県三養基郡みやき町 筑後川右岸

完成年/寛永年間(1624-1644)

設計者・施工者/佐賀藩家老 成富兵庫茂安

管理者/国土交通省筑後川河川事務所

文化財指定等/県指定史跡

<施設の形式・諸元>

堤防(二重堤防)

延長/約12km 堤防高/約7.2m 

天端/約3.6m 法勾配/ 2 割

表小段/約16.2m 裏小段/約5.4m 堤敷幅/約54m

二重堤防間/約180m(洪水遊水地として機能)