SAGA 03
大黒井堰・堰群
伊万里市川西 松浦川、徳須恵川
水流の二分で大水を乗り切った
完成まで21 年という難工事
松浦川の流れの中
5mを越す高さまで石を積む難工事
大黒井堰は、松浦川上流の伊万里市川西、松浦川と黒尾岳川の合流地点にあります。豊臣秀吉に仕えて肥前国唐津の6万石を拝領した後の初代唐津藩主、寺沢志摩守(しまのかみ)の命で、文禄4年(1595)に工事が始まりましたが、何年も掛けて積み上げた石が完成間近に洪水によって流されてしまいます。
土地より河川が低い松浦川には、取水のための井堰が数多く点在していますが、その中でも灌漑用の堰である大黒井堰(だいこくいぜき)は、川幅が70数m あり、ここに高さ5m 以上の石積みの堰を造るという難工事でした。
堰の底には大黒天
傍らには志摩守と可休の碑
工事中に何度も堰が流されましたが、近くの健福寺の僧侶、田代可休(たしろかきゅう)が「川中に島を作り水流を二分し、一方に導水口を設置し洪水の害を回避する」と進言し、無事に完成に至ったと言われています。着工から実に21年目のことでした。
大黒井堰の名は堰の底に、大黒天を安置していることから来ています。現在でも当時の姿をとどめており、寺沢志摩守と田代可休を供養する碑が大黒井手のわきに建っています。
DATA
所在地/伊万里市川西松浦川、徳須恵川
完成年/文禄4年(1595)頃
設計者/唐津藩主 寺沢志摩守、田代可休
施工者/唐津藩主 寺沢志摩守、田代可休
管理者/水利組合
<施設の形式・諸元>
堰長さ/ 50m
堰幅/ 5m
堰高/ 7m