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SAGA 04

馬の頭・桃の川水路

伊万里市松浦町桃川地区

400年近くもの間、この近くに
水を送り続けている現役の水利施設

慶長16年完成
台地へ導水する立体構造

佐賀県北西部を流れる松浦川の上流、桃の川にある馬の頭と呼ばれる「伏せ越し」は、現代でいうサイフォンで、佐賀藩鍋島家の家臣で領内の水利や治水を執り行った成富兵庫茂安(なりとみひょうごしげやす)と、当地の代官だった中野神右衛門(なかのじんえもん)の設計の設計により慶長16年(1611)につくられました。
桃の川は、松浦川より地面が数mも高い台地で、取水は困難とされていましたが、上流部で湾曲する松浦川の地形を利用し、対岸上流部の萩の尾堰から水路で水を引き、馬の頭から取り入れた水を松浦川の底をサイフォンで立体交差させて導水しました。
大小2つが併設され、灌漑面積が異なる2つの集落をそれぞれ受け持っています。

成富茂安公水功碑

川底をくぐって対岸に噴出させ
2つの集落に水を分ける馬の頭

松浦川本流の川底を樋のパイプでくぐり抜け、対岸に噴出する構造で、その形がU字形をなし、馬の首に似た湾曲をしているので馬の頭と名づけられたといわれています。サイフォン部は、上流立ち上がり部が下流立ち上がり部の2 倍の長さで、流れから守るために、川底は頑丈な石畳で覆われています。
昭和3年(1928)、サイフォン部はコンクリート管に替えられましたが、それまでは50個ほどの樋をつないだものが長く利用されていました。
現在も、この湧き出た水が桃の川下分、上原地区70haの美田を潤しており、地区では成富兵庫茂安と中野神右衛門にちなむ祭りが年に1、2 回行われています。

桃の川水路

DATA

所在地/伊万里市松浦町桃川地区

完成年/慶長16年(1611)

昭和3年(1928)改築

設計者/成富兵庫茂安、中野神右衛門

施工者/成富兵庫茂安、中野神右衛門

管理者/水利組合

<施設の形式・諸元>

水路(サイフォン)

サイホン長/約50m