SAGA 07
厳木ダム
唐津市厳木町広瀬 (松浦川・厳木川)
地域振興という目的もプラス
昭和時代最後の多目的ダム
松浦川総合計画における
治水、利水、発電の多目的ダム
松浦川は、天山水系神六山に源を発し、佐賀県の北西部を流れ、厳木川(きゅうらぎがわ)、徳須恵川と合流して玄界灘に注ぎます。
平均年降水量は2,000mm。冬に少なく、夏に集中し、河川は不安定で豊水と渇水の差が極めて大きいのが流域の特徴で、大正時代から松浦川改修工事が進められてきました。
昭和28 年(1953)6 月の「28 水害(にっぱちすいがい)」、さらに42 年(1967)7 月、47 年(1972)7 月と続いた洪水や流域の住宅開発が進んだことを背景に、松浦川総合計画の一環として昭和48 年度より厳木川の上流にダムを建設する実施計画調査が行われ、50 年度より建設工事に着手。
調査開始から実に14年を経た、昭和62 年(1987)3 月、遂に完成しました。
厳木ダムは、昭和時代の最後を飾る、治水、利水、発電を目的とした多目的重力式コンクリートダムです。
再生可能エネルギーを利用し
2 つのダムで行う揚水発電
厳木ダムは市街地からわずか1km あまりと近いことから、非常用洪水吐は自由越流方式とし、減勢は導流壁により行い、副ダムでさらに減勢するという二段階減勢方式をとっています。さらにダム高 100m クラスの放流管ゲートとして、日本で初めて摺動式(しゅうどうしき・滑って動くこと)を採用。また、天山ダムを上部調整池、厳木ダムを下部調整池にして、約3,500m の水路トンネルで結び、天山発電所で揚水発電を行っています。揚水に再生可能エネルギーを活用するなど、技術的に特徴のあるダムです。
300 本の梅、桜、さよの湧水
春夏秋冬、人びとが訪れるダム
ダム湖は、地域に伝わる「佐用姫伝説」にちなんで、「さよの湖(うみ)」と名づけられました。古代、朝廷の命で朝鮮半島の救援に遣わされた大伴狭手彦(おおとものさでひこ)は、豪族の娘、佐用姫と恋に落ちます。やがて出帆の時、悲しみに耐えかねた佐用姫は鏡山に駆け登り、身にまとっていた領巾(ひれ)を打振りました。そして七日七晩泣き続け、ついに石となりました。万葉の歌人たちに数多く詠まれた故事で、弁財天のモデルともいわれます。
厳木ダムでは「厳木ダム水源地域ビジョン」を地域の人びととつくり、ダム見学はもちろんのこと、地の利を活かし地域活性化の核なる活動を行っています。ダムの敷地内にある湧水の水汲み場にも公募で「佐用(さよ)の湧水」と名付けられました。ダム周辺には300 本の梅の木を植えて花や収穫を楽しんだりと、春夏秋冬、人びとが訪れるダムとなっています。
DATA
所在地/唐津市厳木町広瀬(松浦川・厳木川)
完成年/昭和 62 年(1987)3 月
設計者/建設省厳木ダム工事事務所
施工者/本体:鹿島建設、清水建設、鴻池組
管理者/国土交通省厳木ダム管理事務所
<施設の形式・諸元>
形式/重力式コンクリートダム
堤高/ 117.0m 堤頂長/ 390.4m 堤体積/ 1,088,000 ㎥
越流部標高/ EL.218.0m 非越流部標高/ EL.222.0m
集水面積/ 33.7k㎡ 湛水面積/ 0.42k㎡
設計洪水位/ EL.220.9m サーチャージ水位/ EL.218.0m