SAGA 09
石井樋・多布施川
佐賀市大和町駄市川原 嘉瀬川、田布施川分流部
成富兵庫の土木技術を体感する
日本最古の取水施設
天井川の嘉瀬川
水不足に苦しみ続けた農民
石井樋は、江戸時代初期、佐賀藩鍋島家の家臣で領内の水利や治水を執り行った成富兵庫茂安(なりとみひょうごしげやす)が、築造した日本最古の取水施設です。
天井川(土砂の堆積で地面より川底が高い川)といわれた嘉瀬川と支流の多布施川は洪水でたびたび井堰が壊され、農民たちは水不足に苦しんでいました。元和年間(1615-1624)、佐賀城内の飲料水と川上川の下流一帯の用水を確保し、いざ洪水となれば流域一帯の被害を防ぐことができるよう構築されたのが石井樋です。
土砂を沈ませ上水を取り入れる
象の鼻と天狗の鼻
茂安は、「嘉瀬川の水を大井手堰で止め、『象の鼻』、『天狗の鼻』と呼ばれる突堤で水の流れをゆるやかにし、土砂を沈ませきれいな水だけを多布施川に取り入れる」という仕組みを考え、農民とともに建築しました。
石井樋付近の堤防は二重になっていて、その間に遊水地があり、1 番目の堤防をあふれた水が2 番目の堤防にたどりつくまでに洪水の勢いを弱める治水の働きも持っています。その工法には大変な苦心が注がれるとともに、精緻を極めています。
1950 年代(昭和25 年-)に入って上流に北山ダムと川上頭首工(とうしゅこう・農業用水の取水堰)ができたことで、石井樋は350 年あまり果たしてきた役目を静かに終えます。その後、忘れ去られ、洪水で土砂に埋没していました。
伝統工法で息を吹き返した
水利土木の一頂点が見える場所
平成5 年(1993)、皇太子ご成婚記念事業を機に、復元事業が始まります。
古い石積みを発掘し、穴太積(あのうづみ)、はしご胴木(どうぎ)、粗朶沈床(そだちんしょう)などの伝統技法で、約12 年の歳月をかけて平成17 年(2005)に周辺の公園もあわせ完成したのが、今の姿です。
成富兵庫茂安の水利土木事業は佐賀藩領の全域に及んでいて、江戸時代200 有余年間にわたる佐賀藩内の水利体系を作りあげる偉業をなしとげました。これは江戸時代初期における各藩に起こった殖産興業の一つの動向をも反映しているといえます。奇跡的に蘇った、この石井樋は、近世における日本の水利土木の一頂点の土木遺産です。その石井樋を見ながら、当時の利水と治水の土木技術の粋と叡智を「さが水ものがたり館」で知ることができます。
DATA
所在地/佐賀市大和町駄市川原
嘉瀬川、田布施川分流部
完成年/ 1623 年頃(元和年間)
設計者/成富兵庫茂安
施工者/成富兵庫茂安
管理者/国土交通省武雄河川事務所
<施設の形式・諸元>
【石井樋を中心とした取水システム全体】
石造り分流堰、3 連の石の樋管
1 連の樋管サイズ
長さ/ 10.3m
幅/ 1.4 ~ 1.5m
高さ/ 1.0m