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橋本勘五郎が架けたと伝えられる 激動の時代を象徴する眼鏡橋
400年以上にわたる 歴史を物語る干拓施設群
国営横島干拓の完成まで 第一線で活躍した明治の樋門群
大正、昭和の潮害による 復旧と改修の歴史を伝える堤防
末広開堤防、明丑開堤防とともに 近代を代表する干拓潮受堤防
土木の神様加藤清正による 菊池川の治水と新田開発
肥後米の集散地だった高瀬町 荷の積み下ろしを見守った眼鏡橋
山鹿湯の町へと渡る 176mnの7径間連続ゲルバー橋
ヘルマン・ルムシュッテル設計 かつて9連だった九州初の鉄道トラス橋
歴代藩主から庇護された名刹 日輪寺で時を刻む石橋
筑後川水系を洪水から守る連携 記憶に残るダム見学
九州ローカル線廃線第1号 宮原線の廃線遺構
竹筋橋と云われる 充腹式コンクリート造アーチ橋
種山石工の技 通潤橋の石工頭、宇市の石橋
名工橋本勘五郎 帰郷後に架けた明治の石橋
隈府村他十一ヶ所 土木教育財産組合が架けた橋
八幡製鐵所製の鋼脚 九州の鉄の歴史が刻まれた橋梁
震災復興のシンボルとなった 100年の風景を受け継ぐ橋梁
渦を巻き上げ泥土は下流へ 川底に溜めない維持管理の革新
清正の治水と利水の叡智 白川で最大の斜めに築いた堰
熊本城と町を繋いだ 大正モダンなRC開腹アーチ橋
土木の神様 加藤清正の 洪水を軽減する伝統的河川工法
材木商林田能寛が 私財を投じて架けた石橋
橋の影がハートを描く恋人の聖地 2つの川に架かる双子の石橋
橋本勘五郎が息子弥熊に 初めて棟梁を任せた記念の橋
川を斜めに横断する 加藤清正の治水工事の見事
通潤橋の手本と云われる 後の岩永三五郎が架けた石橋
国道を半世紀支えた 大正時代の変則4連アーチ石橋
孟子の故事に名の由来をもつ 延べ4万人の手で造り上げた美
不毛の地を稔りの台地へ 土木構造物初の国宝となった水路橋
崩壊を防ぐ創意工夫 通潤用水の起点となる石磧
離島架橋の幕開けとなった 天草五橋の1号橋
明治三大築港のひとつ 現存する日本最古の港湾史跡
架橋190年を越えた 45の脚をもつアーチ型石橋
明治の干拓史を代表する 堂々たる10連アーチの石造樋門
加藤時代における 球磨川の利水と治水の大事業
長大橋架橋を可能にした ディビダーク工法の導入初期の橋
自然石で積んだ構造美 名工橋本勘五郎の橋
最大出力20,000kW エネルギーと生態系について学ぶダム
アメリカン・ブリッジ社製 ピン結合の曲弦プラットトラス橋
南九州の交通の難所に造られた 外国人技師設計のトンネル
津奈木太郎峠を貫通した 国道3号のトンネル
富士見橋崩落を乗り越え完成 2橋が語る松田新之介の志
石工三平が技で恩を返した 薩摩街道に架かる橋
球磨村に解体保管され眠る ピン結合方式のトラス橋
霊峰一房山を背景に 2万本の桜咲く多目的ダム
轟水源を馬門石の樋管で導く 現役で日本最古の上水道